東京高等裁判所 昭和32年(ネ)302号 判決 1965年12月14日
理由
第一次の請求について
控訴人が、金額七八〇、〇〇〇円、振出日昭和三〇年一月一八日、振出地支払地ともに東京都千代田区、振出人被控訴人会社東京事務所所長多田穣、支払人株式会社大和銀行丸ノ内支店なる持参人払式の小切手一通(甲第一号証の一、二)を所持していること、控訴人は昭和二九年一二月二三日右小切手を支払人に呈示して小切手金の支払いを求めたが拒絶されたので、支払人をして右小切手上に呈示の日を表示し同日付の日付を付けた支払拒絶の宣言を記載させたこと、その頃多田穣は被控訴人会社東京事務所所長であつたが、株式会社大和銀行丸ノ内支店と当座預金取引契約を結び、その口座に同事務所の経費として本社から受取つた金員を預け入れたうえ小切手を振出して支払いをしていたことは(多田が被控訴人会社から代理権を与えられてしたものであつたかどうかはしばらくおき)、当事者間に争いがない。
甲第一号証の一の記載のうち振出人欄の被控訴人会社東京事務所所長多田穣の記名とその名下の所長印影とは右事務所で常用していた印によるものであることは被控訴人も認めているから、反証のないかぎりは、右記名および押印は多田の意思にもとづいてされたものと推定され、その結果さらに本件小切手全部が真正にできたものと推定されることとなろう。そして、原審および当審(第一回)における控訴人秋山道雄本人の供述の中には、控訴人が被控訴人会社東京事務所の経理事務を担当していた社員鈴木ふみ子から、本件小切手はまちがいなく振出名義人が振出したものである旨確認してもらつたとの、前記推定の支えとなるような部分もある。けれども、本件小切手が作られたいきさつについてわかることは次に認定するとおりであつて、そこに掲げる各証拠に照らし控訴人秋山道雄本人の右供述部分は採用することができず他に本件小切手面の前記振出人の記名および押印が多田の意思にもとづいてされたものであることを認めるに足りる証拠はない。
《各証拠》とを対照して考えると、次の事実が認められる。
かつて被控訴人会社の元社長寺田甚吉の秘書をしていたことのある河野幹也は、昭和二九年夏頃一時宣伝広告を業とするPS広告社で働らき、もつぱら小切手の割引等による金融面の操作を担当し、間もなく右PS広告社が解散して後は、光和商事株式会社という名称のもとにブローカーのような仕事をはじめたが、開業早々から資金難にあえいでいた。一方、被控訴人会社はかねてから主務官庁である運輸省をはじめ中央諸官庁との連絡の便宜のため、東京都千代田区丸ノ内二丁目二番地の丸ビル内に出先機関として東京事務所をおき多田穣を所長に任命して前記業務にあたらせ、右事務所で必要とする経費はあらかじめ一括して多田に前渡ししておいて適宜支弁させるという経理方法をとつていたが、多田は、月平均三〇万円から五〇万円以上にもなる前渡金を現金のままで保管することに不安を感じ、昭和二五年三月一三日株式会社大和銀行丸ノ内支店との間に被控訴人会社東京事務所所長多田穣の名義で当座預金取引契約を結び、本社から支給される前渡金はすべて一たん右預金口座に入金のうえ、必要に応じ小切手を振り出して支払いにあてることにした。前記のように東京事務所では連絡事務が主体であり、被控訴人会社の営業そのものに属する行為はもとより、営業に要する資材の買付け等の取引も一切行わず、しかも一〇坪余りの借室に所長以下五、六名という小世帯に過ぎず、経費といつても従業員の給料、借室代、電気料等毎月きまりきつたものであり、一回の支出一〇万円を越えるものは少なく、その支出もひんぱんではなかつたから、東京事務所としての経理担当者というものはとくに定めず、所長である多田自身が一切を処理していた。もつとも、外出することも少なくなかつた多田の留守中に家賃等きまりきつた支払いをしなければならないような場合には、前記寺田の紹介によつて採用し多田自身も信頼していた鈴木ふみ子に所要の小切手帳、印類を預け小切手を切らせることもあつたけれども、そのようなときは金額や使途を一々指示しておき、なお、必ず後で報告をさせるようにしていた。河野は、寺田との間のさきに説明したような関係をたどつて、格別の用件もないのに東京事務所に度々出入りするうち右に述べたような内部事情にも明るくなり、また、同事務所の従業員とも親しくなり、とくに鈴木とは、同女がかつて寺田の小間使いをしていた頃から面識があつて、昭和二八、九年当時はきわめて親密な間柄になつていたところから、被控訴人会社東京事務所所長多田穣と株式会社大和銀行丸ノ内支店との間の前記当座預金取引を利用して金員を手に入れ、事業の不振を糊塗しようと考えるにいたり、金井道夫、佐々木武比古ら数名の仲間を語らつて、鈴木に働らきかけ、これをそそのかして、なんらかの機会に無断で被控訴人会社東京事務所で常用する前記小切手帳、同事務所の記名用のゴム印、所印、所長印等を冒用し本件小切手ほかかなりの枚数の小切手を偽造し、また約束手形に右名義で偽造の裏書をすることに成功し、これを控訴人ほか数名の者に割引させて金員を手に入れた。なお、河野は、右のようにして作つた小切手の割引きを受ける場合には、その小切手が振出名義人によつて正当に作成されたものであると信じさせるために、小切手そのものの場合と同様の手段で、同一の名義でかつてに作つた小切手振出確認書を添えたり、少額のいわゆる印鑑照合用現金払小切手を与えて支払いを受けさせるなどし、また小切手の不渡りなどによつて悪事の発覚するのを遅らせるために、適当な時期に、偽造した小切手を買戻すとか、前同様にしてかつてに作つた小切手に書替えるとかしまた、何らかの方法で東京事務所の当座預金口座に偽造小切手金額に見合う入金をするという手段を講じていた。このように、本件小切手は、河野と鈴木とが意を通じて、被控訴人会社東京事務所で常用する小切手帳同事務所所長多田穣の記名用のゴム印、所長印等を冒用して作つたものであつて、もとより多田の意思にもとづいて作られたものではない。
以上のような事実が認められる。もつとも、《各証拠》とすでに認定した事実と、弁論の全趣旨とを合わせ考えると、少なくとも昭和二九年九月はじめから一二月はじめまでの間に、被控訴人会社東京事務所の経費の支払いのためではなく、本件小切手と同じく多田の意思にもとづかないで作られたものと認められる金額数十万円の小切手が相当数株式会社大和銀行丸ノ内支店に呈示されて支払われていることが認められるから、仮りに多田が東京事務所の経理の実態と当座預金の現実の動きとを逐一つかんでいたとすれば、当然、同事務所としてははなはだ異例な小切手流通事情にたちどころに気づいたであろう。また、当審における証人須藤秀男の証言の中には、須藤が本件と同じようにして作られたと推測される同じ形式の小切手を割引いたことについて多田のところに幾度も出入りするうち、多田に会つて礼を言われたり食事に誘われたりしたことがあるが、須藤は、それは小切手を割引いてやつたことに対する感謝の気持から出たものと思つたという趣旨の部分があり、原審における証人多田穣の証言の中にも、多田が料亭などで一再ならず河野らと飲食を共にしたという部分があるから、これらの点から、多田は河野らと共謀していたか、あるいは少なくとも、河野らのすることを黙認していたのではないかとの疑いが起らないでもない。現に、当審における証人多田穣の第二回証言によると、被控訴人会社の本社でも、はじめは右のような疑いをもつて調査を進めた様子がうかがわれる。けれども、多田が東京事務所の経理の実態と当座預金の現実の動きとを逐一つかんではいなかつたことは後に説明するとおりであるし、前記各証言のうち、小切手を割引いたことと、多田の前記言動との結びつきの点はけつきよくは須藤の憶測の域を出ないものとみえるし、多田が河野らと飲食を共にしたということも、さきに説明したような多田と河野との間柄を考えると、必ずしも不純な結び付きがあつてしたことと気をまわす必要もないように思われる。また、当審における証人増田金一の証言によると、被控訴人会社東京事務所の経理面は、支出伝票とこれに対応する領収証とをとりまとめて本社にまわし調査を受けたうえで、その分の金額の補充をしてもらうという形で運営され、それ以上にとくに本社から経理内容の監査を受けるということもなかつたことが認められる一方、河野らはさきに説明したように東京事務所の当座預金口座はいつも一応収支相償なうように工作していたのであるから、多田が数カ月にわたる不正な出来事を知らずにいたということもその責任問題は別として事実としてはじゆうぶん考えられるところである。けつきよく、《証拠》を合わせ考えて、多田は、たまたま昭和二九年一二月一八日に振出人光和商事株式会社常務取締役河野幹也、裏書人被控訴人会社東京事務所所長多田穣と記載のある金額一〇〇万円くらいの約束手形の件で監督官庁に呼出しを受けたことから河野を追及してはじめて事の真相を知るに至るまで、鈴木や河野を疑いの目で見たことも、大和銀行丸ノ内支店との間の当座預金取引の内容を調査したこともなく河野らの不正行為を全く知らずに過したものと認めざるをえないのである。
以上認定のとおり、本件小切手は被控訴人会社東京事務所所長多田穣の意思にもとづかないで作られたものである。また右小切手を作ることに関与した鈴木が、多田からあらかじめ、または同人さしつかえの際そのつど、同人に代わつて小切手振出等を含む経理事務を行う権限を与えられていたものであるとの控訴人の主張にそう控訴人秋山道雄本人の供述(原審および当審第一回)は原審および当審(第一、二回)における証人多田穣の証言に照らして採用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、鈴木は多田から何らの代理権限を与えられてはいなかつたことはすでに説明したところから明らかである。
結局、多田が被控訴人会社を代理して小切手を振り出す権限をもつていたかという点について判断するまでもなく、本件小切手金の支払いを求める控訴人の第一次の請求は理由がなく、これと同じ趣旨の原判決は相当であつて本件控訴は棄却を免がれない。
予備的請求について
(一)、鈴木ふみ子が河野幹也にそそのかされ同人の金融の便宜をはかつてやるため本件小切手の偽造に加担し、河野はその小切手を控訴人に割引きさせて金員を取得したものであることは、前に認定したとおりであつて、それが鈴木の不法行為にあたることは明らかである。
そして、鈴木はその頃被控訴人会社に雇われてその東京事務所に勤務し、所長多田穣の名義で株式会社大和銀行丸ノ内支店に開設されていた当座預金口座から同事務所の経費の支払いをするために同事務所で常用していた小切手帳や記名用のゴム印、所長印等を使用して小切手を作つたことが少なくなかつたこともさきに認定したとおりである。この場合、たとい、東京事務所所長としては被控訴人会社のため小切手を振り出す権限を与えられず、同所所長名義で振り出す小切手は被控訴人会社に効力を生ずるものではないとしても、右の小切手振出事務そのものはもとより被控訴人会社(東京事務所)の事業に属する行為であつて、単なる多田個人のための行為とみるべきではないことは当然である。民法第七一五条の法意は、被用者が日常担当する職務の範囲に属する行為を適法に遂行して他人に損害を与えた場合にとどまらず、その地位を濫用して自己または第三者の利益をはかりその結果第三者に損害を与えた場合にも、その違法の行為が外形上被用者の職務行為の範囲内に属するものと認められるかぎり、使用者の業務の執行についてしたものであるとして、使用者に損害賠償の責を負わせようとする趣旨であると考えられるから、小切手や手形を作成することが実質上または少なくとも外形上鈴木の日常担当する被控訴人会社東京事務所における職務の範囲内に属するものであるならば、使用者たる被控訴人は本件偽造小切手によつて控訴人が被むつたという損害を賠償すべき義務があることになるのである。ところで、鈴木ふみ子が、本件小切手が作られた当時、被控訴人会社東京事務所の経理を担当し所長多田穣の名義で小切手を振り出す権限を与えられていたという控訴人の主張事実を認めることができないことは、さきに説明したとおりである。また、甲第一号証の一、同第二号証、同第五号証、同第一三号証等には鈴木という副印が押されてあり、そのうち甲第二号証、同第一三号証については、それが鈴木ふみ子の印によるものであることに争いなく、その余の前記各号証についても弁論の全趣旨によつて同じことが認められるが、《証拠》を合わせ考えると、取引銀行としてはこのような副印があることについて格別の意味を認めていないこと、一般に、このような副印は小切手や手形を事実上作つた者などがそのことを明らかにするために事務的に押印するものであつて、それ以上に、副印を押した者が振出権限をもつているとか経理担当者であるとかいうことを意味するものでないことが認められる。かえつて、原審および当審(第一、二回)における証人多田穣の証言によると、昭和二九年当時も被控訴人会社東京事務所の経理は多田自身が一切処理していて、鈴木は受付、お茶汲み等のいわゆる雑用に当ることを本来の職務とし同人が前認定のように小切手を作つていたのも、もつぱら借室代や自動車用ガソリン代等月々きまつて行われる支出につき、多田の個々の指示に従つてその面前で小切手に所要の記載をし押印するという機械的な事実行為だけをし、時として多田の不在中に支払いの必要を生じた場合でも、前記のような常例の経費についてのみ、そのつど多田の指図のままに、いわばその手足として右の行為をしていたものに過ぎないのであつて、鈴木自身の判断と責任とにおいて多田を代理してしたものではなかつたことはもとより、日常経理事務を担当していてその職務の一環としてそれをしていたものでもなかつたことが認められる。そのようなわけであるから、たとい鈴木が小切手を事実上作る回数がかなりひんぱんになり、その金額も相当の額に上ろうと、また実際に小切手を作ることが多田の外出中に行われようと、そのことのために、実質上はもちろん外形上も、鈴木が被控訴人会社東京事務所のため小切手の作成、交付というような職務を担当していたことにならないことは当然である。また、事実、前掲多田証人の証言と甲第一二、第一五号証とを対照すると、昭和二九年当時被控人会社東京事務所の諸経費をまかなうために正規に振出された小切手はたかだか一日平均一通程度にすぎなかつたと推認することができる。
そうであるとすると、鈴木ふみ子が河野幹也に加担して本件小切手を作つた行為を目して被控訴人会社の被用者が使用者たる同会社の事業を執行するについてしたものとすることはできず、したがつて、本件小切手の偽造に関して民法第七一五条によつて控訴人の責任を問うことはできないものといわねばならない。
(二)、次に、鈴木らが偽造した本件小切手の関係で控訴人が損害を被むつたことが、被控訴人会社の被用者でありかつ鈴木の上司である多田が、東京事務所の経理事務を処理するに当つて控訴人主張のような過失を犯したことに起因するものであるか、もしそうであるならば、その結果、使用者たる被控訴人が損害賠償義務を負わなければならないかの点について検討する。
本件小切手は、河野が鈴木をそそのかして、多田の目を盗んで、同人の保管し常用していた小切手帳や所長印等をかつてに使う機会をつかんで偽造したものであること、昭和二九年当時河野や鈴木らによつて同じようにして偽造されたものと認められる被控訴人会社東京事務所所長多田穣振出名義の小切手や同じ名義の裏書のある約束手形が相当数出まわつていたこと、それにもかかわらず多田はそれらの不正が行われていることについて同年一二月一八日まで全く気付いていなかつたことは、すでに認定したとおりである。これらの偽造行為が、多田の小切手帳、印類の保管方法がずさんであつたために、河野、鈴木らがたやすくこれを冒用する機会をえ、その結果本件小切手を偽造することができたということであるならば多田の職務執行上の怠慢が右の犯罪を誘発したものであるとの見方が成り立つかも知れない。そのような場合には、その職務怠慢が不法行為を構成し、使用者たる被控訴人が右不法行為により第三者に生じた損害を賠償すべきことともなろう。けれども、本件の場合、まず、本件小切手の偽造を含め一連の偽造行為自体が具体的にいつどのような機会にどのような経過をたどつて行われたかを確定することは、本訴に現われた全証拠をもつてしても不可能である。また、多田が小切手帳や印類を保管する上に怠慢であつたことを認めるに足りる証拠はない。むしろ、当審における証人多田穣の第一回証言によると、多田は平素印類は印箱に納め、これをさらに金庫か鍵のかかる書棚に入れて保管していたことが認められ、多田が鈴木に小切手を書かせるときも、小切手帳や印類の使用についてとくに一々指示をしてやらせていたことはすでに説明したとおりである。多田は右の点では、まず、人並みの注意は払つていたものといえるのである。それにもかかわらず、河野、鈴木らによる小切手等の偽造という犯罪が一応の成功をみたのは、前に説明したところからおおよその筋書が推察されるように、同人らの周到な計画と巧妙な手口とによるものと考えられる。もつとも、甲第一二号証によつて明らかなとおり、東京事務所の当座預金口座は、少なくとも昭和二九年後半から大口の金額の出入りがふえており、そのうちいくつかは河野らの不正行為に関連のあるものであることはまちがいない。けれども、いずれにしても、本件小切手が偽造された時期を明らかにすることができない以上、たとい、多田が日頃小切手帳の控や当座預金入金報告書、同残高通知書等に一々眼を通していなかつたとしてもそのことを右の偽造の一因としてとり上げることはできないことはいうまでもない。そうであるとすると、多田の業務執行上の不法行為について民法第七一五条により被控訴人の責任を問おうとする控訴人の主張もまた他の点について判断するまでもなく失当である。